◎ 目 次
◎ 訳者のことば
◎ 著者まえがき
◎ 第1章
◎ 第2章
◎ 第3章
◎ 第4章
◎ 第5章
◎ 第6章
◎ 第7章
◎ 第8章
◎ 第9章
◎ 第10章
◎ 第11章
◎ 第12章
◎ 第13章
◎ 第14章
◎ 第15章
◎ 第16章
◎ 第17章
◎ 第18章
◎ 第19章
◎ 第20章
◎ 第21章
◎ 第22章
◎ 第23章
◎ 第24章
◎ 第25章



汚れなきマリア修道会の創立者 アデル・ドゥ・トランケレオンの生涯

ジョゼフ・ステファネリ著/朝山宗路訳 
  著者まえがき

著者: ジョゼフ・ステファネリ


アデル・ドゥ・バッツ・ドゥ・トランケレオンの伝記を書くために、最初に資料集めを始めたのはメール・サンバンサン であった。それはアデルの死の直後のことである。メール・サンバンサンはアデルの補佐役を勤めた人であり、のちにアデルの後を継いで総長になった人物である。

アデルが死亡したのは1828年1月10日であった。しかし、すでにその二日後には、二人の人物がアデルの伝記を執筆すべくメール・サンバンサンに申し出ている(1)。ギヨーム・ジョゼフ・シャミナード神父も、アデルの死後ただちに修道女やアデルの家族に資料の提供を依頼した(2)。

9月に行われた男子マリア会の評議会では(3)、執筆可能な4名の候補者の中から1名の執筆者を選定すべく協議しており、この4名の中にはアデルのいとこカロリン・ドゥ・バッツも含まれていた(4N1)。

それから2年の後、すでにシャミナード神父は編集資料をラコステ氏(LACOSTE)に手渡すばかりになっていた(5N2)。しかし、おそらく1830年の革命に続く混乱のためであろうか、それとも当時シャミナード神父自身が直面していた諸問題のためであったのかもしれない。それ以上の進展はみられなかった。

それから数年後のことと思われる。メール・サンバンサンはかなりの量におよぶ資料を某司祭に委託している(この司祭の素性は明かでない)。この司祭は創立者の伝記の執筆に同意していた。しかし、突然の死がかれを襲い、その相続人は経理に関する書類を残して、かれが残した他のすべての書類を焼却してしまった。かくしてメール・サンバンサンの手記は、その複写を修道院に保管されることもなく、灰燼に帰したのである(6)。

1847年から1857年の間に(7)、メール・マリ・ジョゼフは「マリアのむすめの修道会の創立者であり初代総長であるマドモアゼル・デル・ド・トランケレオンの伝記に資するためのメモアール」(Mémoires pour servir à la vie de mademoiselle Adèle de Trenquelléon fondatrice et première supérieure de l’institut des filles de Marie)と題する文献を書き起こした。このメール・マリ・ジョゼフはアデルのいとこにあたり、女子マリア会の総長の補佐役をつとめた。また1856年以降は総長の職についている。

このメモアールは、メール・マリ・ジョゼフ自身が書き残した回顧録と種々の口伝ならびに多数の人びとから提供された手記などを集録したものである。しかし、それは歴史書でもなければ伝記でもなく、厳密な意味での年代記でもなかった。しかしながら、この忘備録やノート類こそは、現在わたくしたちに残されたアデルに関する多くの出来事を書きとどめた集大成であり、アデルの手紙とともにアデルに関する第一の情報源となっている。

これらのメモアール(8)と、いくつかの手紙の抜粋を土台にして、ベネディクト会のジャン・プラディエが「レヴェランド・メール・ド・トランケレオンの生涯」(Vie de la révérende Mère de Trenquelléon )を著した。これはマリー・ジョセフによって発注されたもので1861年に出版されている(9)。

1921年、マリア会員アンリ・ルッソーは、同じくマリア会員シャルル・クロッブが集録した膨大な手書きの資料をもとにして、「アデル・ド・トランケレオン」(Adèle de Trenquelléon)を出版した。クロッブ師が35章にわたって集録した資料に、ルッソー師は自分で行ったアデルの家族とその環境についての調査結果を付け加えている(10)。

これらの他に、アデルの列福・列聖運動が開始された1946年から最終的にローマに提示された1967年までの間に(11)、膨大な調査が行われた。マリア会員ジョゼフ・ヴェリエは、それまでに集められていたあらゆる資料に加えて、更にそれ以降に集めた資料を添えて、「運動申し立てと諸徳の提起に関する論拠」(Positio super introductione causae et virtutibus)と題する膨大な文書を著した(12)。

アデルの伝記をその全生涯にわたって英語で書き表した書物としては、本書が最初のものである。独創的なものであると主張するつもりはない。すでにフランス語で書き残された数多くのデータの幾分かを英語で著そうと試みたに過ぎない。

本書を書くにあたって、上記の諸資料とその他数多くの小論文や研究論文を参考に使わせてもらった。こころから謝意を表したい。今後、特定の観点からみたアデルの生涯やその人となりについて数多くの研究や分析がなされることを期待する。

アデルの手紙(13N3)とアデルが書き残した文書類が(14)ほとんど残存しないことは、きわめて遺憾なことである。原初の情報が存在しないということは、著者にとって(また読者にとっても)、アデルの生涯に登場する人物の素性とか、出来事のタイミング、状況のなりゆきなどについて多くの疑問を残し、これに満足な答を見いだすことができないことを意味している。しかしながら、いま私どもの手元に残されたメモアールや手紙には、アデルの姿を浮き彫りにして余りあるものがあり、アデルのダイナミックでしかも聖なる生涯と、人のこころを引き付ける人物像をわたくしたちに教えてくれている。

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