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第88号 2007年11月15日発行

■この杯が飲めますか?  汚れなきマリア修道会 石上寿美江
  

ゼベダイの子、ヤコブとヨハネの母がイエスのところに来て、「あなたが王座におつきのとき、私の息子の一人を右に、一人を左に坐らせてください」と願った。イエスは「あなた方は何を願っているかわかっていない。この私が飲もうとする杯を飲むことが出来ますか」とたずねると、二人の弟子は「できます」と答えた。
イエスは「確かにあなた方は私の杯を飲むことになる。しかし、私の右と左に誰が坐るかは私の決めることではない。それは私の天の父によって決められた人々に許されるのだ」と言われた。(マタイ20/20〜28)

「私が飲もうとする杯をあなたは飲めますか?」。そう問われて、はたして私たちは「ハイ飲めます」と答えることができるでしょうか。では、杯を干すとはどういうことなのでしょうか。

ミサの聖体拝領のとき、「あなたは生ける神の子キリスト、あなたをおいてどこにいけましょう」と私たちは唱え、「このパンを食べ、この杯を飲み、私は主の死を告げ知らせよう」と唱えますが、どんな気持ちでこの言葉を発しているのでしょう。勿論、奉献生活をしているだけでは、イエスの杯を飲んでいることにはならない、ということは間違いありません。イエスは最後まで杯を投げ捨てず、「私の願いどおりではなく御心のままに」と御父に従い、十字架にかけられました。

「命の杯を飲むということは、人生の中に起こるすべてのことを受け止め、悲しみであれ、喜びであれ、私だけに与えられたこととして、自分のものとして、かけがえのない存在として自分を確立することにほかなりません。」「私の人生はこれでよかったのだ。自分の意のままではなく、神のみ旨に従うことに徹するとき、今まで自分がやってきたことは自分がやらなくてもよかったことだと分かってきます。」「命を余すところなく捧げ尽くすことによって、命の充満が得られるのです。」
(ヘンリーナウエン著「私の杯が飲めますか?」より)

今年の私には多くの親族、友人、知人との別れがありました。その方たちを見送りながら、私はこのイエスの問いかけを何度も思い起こし、この11月の死者の月に、あらためて自分の生き方を見つめなおしました。
そして、「この杯を飲めますか?」と問われたとき、奉献者として力強く「ハイ」と応えることができるように神を信頼し、祈り、聖母の取り次ぎを願い求め、信仰を強めていくことができるよう、日々positiveに生きていきたいと思いました。また、生かされている喜びに感謝しつつ、更なる歩みを進めていかなければならないとも思いました。

自分の意のままにではなく、神のみ旨に従うことに徹していく時、何かが見えてきそうです。「何を一番したいか」ではなく、「何を為すために今呼ばれているか」を考え、そのみ心を果たしていくとき、必ず神の恵みがそこに働くことを信じて日々過ごしていきたいものです。

「私のために命を失うものは、かえってそれを得る」(マタイ10:39)



■マリアへの奉献(5)  マリア会司祭 冨来正博
  

洗礼における奉献(つづき)

キリスト者のすべての奉献はこの洗礼に基礎を置いています。
シャミナード師はこのことを弟子たちに理解させようと、聖母会員(現在の信徒マリアニスト)、そしてマリアニスト修道者にさえ、洗礼の約束の更新をしばしば行わせています。聖母会員にはマリアへの奉献の前に、修道者には誓願の更新の前に、洗礼の約束の更新をするよう求めました。
1815年にシャミナード師が発行した「マリアの僕の手引き(聖母会員の手引書)、改訂版」には次のような奉献文が記されています。
「私は聖なるおとめマリアのみ前に、私の洗礼の約束を自由に、自由意志をもって更新します。

1.私はサタンとそのおごりとその業、すなわち悪魔のすべてのそそのかし、この世のすべての虚栄、あらゆる罪、あるいは私に罪を犯させるあらゆる機会を捨てます。

2.私はイエス・キリストへの信仰を精神と心を持って奉じます。すなわち、教義に関しても道徳に関しても、イエス・キリストの霊と教会の掟、教え、内的・外的指導に従います。

3.私はイエス・キリストご自身の生き方に従うことを望みます。すなわち、イエス・キリストの諸徳、愛、柔和、謙虚、貞潔、清貧、忍耐、つまりご自分の模範と教えによって人々に教えられた諸徳を、自分にできる限り完全に実行しながら生きていきたいと望みます。」

この三つの約束は私たちを「聖なる者」とする道です。すなわち、
1)神に到るために罪と悪から離れ、2)神の霊の導きに素直になり、3)イエス・キリストと一致してその生命を生きることです。
洗礼によってキリスト者になるとは、この三つの約束を生きることなのです。



■4名のマリア会員の列福について  マリア会司祭 清水一男
  

教皇ベネディクト16世は、4名のマリアニスト殉教者を含む464名のマドリッドの殉教者を、2007年10月28日にローまで列福することを発表されました。

4名のマリア会修道者は、Miguel Leibar(ミゲル・レイバール), Joaquin Ochoa Salazar(ホアキン・オチョア・サラザール), Sabino Ayastuy Errasti(サビノ・アヤストゥイ・エラステイ), それにFlorencio Arnaiz Cejudo (フロレンシオ・アルナイス・セフード)です。
彼らは1936年から1939年にかけてのスペインでの宗教迫害の犠牲となって殉教しました。


彼らを殉教にまで至らせたこの痛ましい出来事とそれに伴う悲しみは、スペインの人々にとって常に思い起こすのも辛い思い出でしたが、マリア会を含む多くの修道会は、このような日々に信仰を証ししようとしたかくも多くの人々が居たことを目のあたりにして、誇りと慰めと勇気を見出します。不動の勇気と信仰をもって彼らは自らの生きる原理と確信を守り通して自らを捧げたのです。彼らはカルワリオまでキリストに従うべく召されたのでした。彼らは殉教の栄冠を受け、そして今日、教会は彼らの徳を全ての人に公表するのです。
(以上、マリア会総長の手紙の抜粋)

次号に4名の殉教者の経歴や殉教に至るまでの経緯などについて紹介いたします。



■北東アジアマリアニスト家族評議会について  マリア会司祭 清水一男
  

11月23日(金)から25日まで東京で開催される第二回北東アジアマリアニスト家族評議会について、その設立の経緯や目的などを簡単にご説明いたします。

公式のマリア会日韓地区本部の会合が2004年7月にはじめて東京で開催された時、これを機会にしてお互いに交流を深め協力していくための種々の取り決めを行ないましたが、マリア会だけでなくマリアニスト家族としても協力していきたいという意向を受けて他の枝に呼びかけ、賛同を得てこの評議会が誕生しました。

したがって、この評議会の目的は、北東アジアのマリアニストがお互いに交流を深め、協力し合いながら、マリアニストの精神を生き、活動し、アジア地域にその精神を根づかせることです。

今回、はじめて韓国のマリアニストを代表する方々を日本に迎えて交流できることは、私たちにとって大きな喜びであり希望です。この機会をとらえて、私たち日本のマリアニストが国内のことを越えて、アジアのまた世界のマリアニストとのつながりを確認する機会とすることができるよう努めたいと思います。



■日韓マリアニスト終生誓願者の集い  マリア会司祭 清水一男
  

日本と韓国のマリア会は、2004年7月に最初の公式な日韓地区本部の会合を東京で開催し、これを機会にしてお互いに交流を深め協力していくための種々の取り決めを行ないました。

標記の件はその一つの合意事項でした。昨年の日韓地区本部の会合でこの件について具体的に話し合い、今年は韓国地区が8月18日〜21日の4日間、日本地区の会員を招待することに決定していました。

この決定に基づき、日本地区から田上保幸士、中木熊男士、中村力範士、ハーボルド士、松本幸徳師、清水一男師の6名が参加しました。

今回は4日間の短い訪問でしたが、韓国の会員たちの心のこもった歓迎を受け、すばらしい交流の機会になったと思います。

FMIシスターとMLCのメンバーを交えた初日夕方の歓迎会に始まり、二日目は韓国の歴史と文化、現状に触れるプログラム、三日目は韓国の教会の歴史に触れるため、主な殉教地二ヶ所を訪ね一緒に祈りました。
多くの殉教者を出した韓国の教会と日本の教会は、共通する信仰の土壌を持っていることを強く感じました。
また、ミサに参加し殉教地で祈る多くの信徒の姿に接し、生活の中に生きている信仰を実感しました。

最終日は今回の交流会を振り返り、来年の日本での交流会につなげる話し合いを持ちました。


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