Newsletter

第86号 2007年7月15日発行

■マリアへの奉献(3)  マリア会司祭 冨来正博
  

奉献の中の奉献

民のために祈り、神にいけにえを献げて罪の許しを願う人を、祭司と呼んでいます。

ところでヘブライ書にあるとおり、律法のもとに立てられた祭司は死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました(ヘブライ7−23)。
またこの祭司たちは、まず自分の罪のため、次に民の罪ために毎日いけにえを献げる必要(ヘブライ7−27)がありました。

これに対して、新しい契約のもとにあるわたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられて(ヘブライ4−14)います。
キリストは「あなたこそ永遠に、メルキセデクと同じような祭司である」と言われた方によって大祭司として立てられました(ヘブライ5参照)。メルキセデクとの比較についてはヘブライ書の7章をもう一度お読みください。

永遠の大祭司キリストが他の祭司たちと違う点がもうひとつあります。
かれらは雄山羊や雄牛の血をもって契約の書、民全体、幕屋と礼拝に用いるあらゆる器具に振りかけて清めようとしました。
このように供え物といけにえが献げられても、礼拝をする者の良心を完全にすることができず(ヘブライ9-9)、神に近づく人たちを完全な者にすることは(ヘブライ10-1)できませんでした。

それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために体を備えてくださいました」(ヘブライ10−5)。

このキリストの体がただ一度献げられたことにより、私たちは聖なる者とされたのです(ヘブライ10−10)。

このようにキリストは新しい、優れた、永遠の大祭司であると同時に、罪を贖う唯一のいけにえとなられたのです。さらに注目すべきことは、神の御心を行うため、そして多くの人の罪を負うために、その業を果たされたと言うことです。


BACK INDEX NEXT
▲TOP