◎ なぜ マリア?

◎ お告げのマリア

◎ マグニフィカトのマリア

◎ カナのマリア

◎ 十字架の下のマリア

◎ 神の母、聖マリア

◎ キリスト者一致とマリア

◎ イスラームとマリア

◎ マリアと教会の秘義



MARIA

■ お告げのマリア

  
Ave Maria gratia plena, Dominus tecum!
「おめでとう、恵まれた方」マリア、「主があなたと共におられる」(新共同訳聖書ルカ1:28)。

神からのお告げを受けた数ある預言者の中で、「おめでとう、恵まれた方」と呼びかけられた人は、はたして幾人いたであろうか。おそらくマリアひとりに違いない。

マリアは、神の救いの計画の中で、すでに神の母として永遠に選ばれていた。だからこそ、神のみ使いが受胎を告知したとき、マリアはすでに「恵みに満ちあふれたもの(gratia plena)」であったのだ。そして、マリアが恵みに満ちあふれたものであったからこそ、「いつの世の人も」、「マリアを幸いなもの」と称える(ルカ1:48)。

絵画の世界でも、音楽の世界でも、そして文学の世界でも、お告げのマリアは私たちに郷愁にも似た懐かしさを与えてくれる。人類の歴史が始まって以来、マリアほどに人びとから愛され、慕われたものはいない。

このお告げのマリア。それは、単にマリアへの賛美に終わるものではない。そこには、人知では計り知ることの出来ない神の秘義が存在する。永遠なる神のみ子が、マリアを通して、限りある人間の姿をとられた瞬間だ。永遠と有限の一致。これこそ、人知では知り得ぬ神の秘義、永遠なる神の愛の表現である。

そして、この神の秘義に何の躊躇も疑いもなく、即座に「ハイ」と答えることの出来た人。それがマリアだ。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:37)。
マリアがこのように答えることが出来たのは、神にすべてをお任せする強い信仰と深い心の謙虚さがあったからだろう。

だから、「時が満ちると、神は、その御子を女から ・・・ 生まれた者としてお遣わしになりました」とパウロはガラテア人への手紙の中で書いており(4:4)、また、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、・・・ 人間と同じ者になられました」とフィリピ人への手紙の中で書いている。

お告げのマリア。それは、私たちにとって救いの瞬間であり、また、信仰と謙遜の鏡でもある。
 <朝山宗路> 
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