柱の聖母

創立者シャミナード神父は、スペイン・サラゴサの柱の聖母の聖像の足下で神の召命を悟ったと伝えられています。このことからマリアニスト家族は発祥の記念として毎年柱の聖母の祝日を祝うようになりました。

マリアニスト家族の起源を記念するこの祝日は、もともとスペイン、中・南米スペイン語圏で古くから祝われていたものですが、その歴史には大変興味深いものがあります。

スペイン・アラゴン地方にあるサラゴサの街は古い街で、ローマ時代にチェザルアウグスタと呼ばれていた頃の名残りが今でもこの城壁に見られます。
柱の聖母像はサラゴサで一番注意を引くヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール(柱の姫君)教会にありますが、この教会は17世紀に建てられ、人びとから親しまれてきました。

紀元40年頃、イベリア半島へ宣教に来た使徒聖ヤコブは、この地で聖母マリアに出会ったと言う伝説があり、ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール教会はその場所に建てられました。
柱の上にたたずむ聖母マリアの小立像は歳月のためずいぶん黒ずんでいますが、人びとはこの像に毎日きらびやかな衣装を着せ替えて聖母への崇敬を表し、そして聖母への奉仕のために特別な信心を行ってきました。
この聖母はスペイン語圏で守護者として人びとの崇敬を集め、毎年10月12日のピラール祭は盛大に祝われています。

円天井のフレスコ画の幾つかはゴヤの若い頃の作品であり、主祭壇の装飾衝立は、ダミアン・フォルメント制作の雪花石膏(アラバスター)のゴシック彫刻の傑作です。
外観は塔が4つ、ドームが10で、奇跡の聖母像は中央大ドームの下に安置されています。