私の召命物語(9) 

 神の呼びかけから逃げ回った私
 
なぜ修道院に入ったのかを他の人と分かち合うとき、私の歩み方は他の人と少し違うのかな、といつも思います。

他の人の多くは、修道生活へのあこがれがあったり、シスターとの出会いがあったり、神父様に勧められてとか、修道院に入るならマリア様の会がいいとか、わりと具体的で、早めに決意しているように思えるのです。
しかし、私の歩みはそうではなく、修道生活というゴールにやっと至ったという感じなのです。
私は21歳で洗礼を受け、23歳で本会に入りました。
洗礼を受けたときは、看護学生で、翌年4月から看護師として病院勤務を始めました。
看護師は私にとって子どもの頃からの夢で、生涯の仕事と考えていました。
だから、修道生活は私の人生に入る余地はなかったのです。

ところが、受洗後1年過ぎた頃から何だか知らないけれど私の中に何かある。
それは寝ても覚めても同じで、一体なんだろうと思っていました。
やがて、その得体の知れないものがどうやら修道生活のほうに私を引っ張っていくようだと感じたとき、私はそれから逃げ出すことにしました。嫌でしたから。
それで、考えないように、考えないようにしたのです。
でも心は落ち着きませんでした。
修の字のつく言葉や、教会の鐘にまでに敏感に反応してしまうのです。
それで抵抗を観念して修道生活の道を受け入れたときに心の平安が訪れました。

ではどの修道会に入ろうかと考えたとき、私はせっかく看護師をしているのだから、資格が活かせる修道会がいいと思い、病院を経営している修道会を探しました。
そして、京都だったか姫路だったか忘れましたが、会のパンフレットを送ってもらおうと責任者宛に手紙を書きました。「私は現在看護師をしていますが、修道生活を考えていますので、貴修道会のパンフレットを送っていただけませんか」というような文面でした。
やがて分厚い封書が届き、中を開けたら手紙が入っていました。
「今、世の中では看護師が足りません。世間に留まって看護師を続けたほうがよいのではないですか」と言う返事でした。それを読んだときショックでした。断られたのです。

でもすぐに、
ああ、私って、看護師という仕事を通して世間とのつがなりを持とうとしていたんだ、と気付き、
心が180度変わりました。

神様に捧げるなら仕事は何でも同じだ、
それなら、病院とは何にも関係ない修道会にしようと思って周りを見回したとき、
知っている会は、黙想会に参加した事のある本会しかなかったのです。
それで、修道院を見せていただくために二泊三日の予定で上京し、
修道院のお掃除をしたり、リボンのボタン付けを手伝ったり、障子の張替えまでしました。

人使いがあらいなとは思いましたが、居心地が良く、ここは自分の居場所だと感じたので、
静岡に帰る前に入会の手続きをし、その四、五ヶ月後に本会に入会したという次第です。

今回マリア様との関わりは何にも書きませんでしたが、
結局、本会に私を望んだのはマリア様でした。
また機会があったらそのことをお話しましょう。
シスター 西山恵子
INDEX
▲TOP